百万石の次回予告Column 008

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2009.6.19 On Air Theme 『 心配 』
プロレスラーの三沢光晴さんが亡くなった。

自分が格闘家としてもっとも印象に残る人物であり、突然の訃報に思わず大声を上げて驚いてしまった。
某所に、自分なりに三沢さんについての思いを書き上げた。そして、色々な著名な方々の今回の事故についての寄稿も読ませていただいた。
その中で、自分も懇意にしていただいてる、とあるライターさんの文章が非常に印象に残った。


思い出せる限り、内容だけでも引用させて頂くと、

猪木、馬場、アンドレ、これらの昭和を盛り上げたレスラー達は、おとぎ話の住人でしかなかった
しかし、三沢、小橋、武藤、蝶野、永田、中西などの、アスリートと呼ぶに等しいレスラーがマットに現れると、
たちまち、昭和以上に技の過激さや美しさを競うものになっていった
彼らが持つ運動神経やファイティングスピリットは、突き詰めれば突き詰めるほどに、より過激に、より美しくなっていった
あそこまでやると、取り返しのつかないようなケガ、もしくは、今回の三沢さんのような「万が一の出来事」が起こってしまうのでは、 と一抹の不安さえ見る者の心に起こってしまう
しかし、そんな心配が霞んでしまうほど、それを忘れてしまうほどに、彼らが織り成す技の攻防は美しく、 ある種見る者の心配をかき消してくれていた


これには非常に考えさせられるところがあった。というのは、オレ自身は、どんどん過激になっていく技の攻防を見ても、ケガはあっても、 「万が一」は絶対に起こることの無いものだと思っていたからだ。
むしろ、普通の人々が持つ「万が一のことが起こるのでは、という心配」より、
まるでチキンレースのような、「レスラーの限界」を量るところに、プロレスの魅力を感じていた。
三沢さんがエメラルドエクスプロージョンを繰り出すところにアドレナリンが出るのではなく、
むしろ、それをカウント2.99で返す田上や小橋に胸が熱くなるものを感じた。
カウント3を聞いた瞬間に見えるものは、その敗れたレスラーの、我慢の裸なんだと。
彼らは、相手の限界を引き出すことに、全てを賭けている、と。

三沢さんは、バックドロップを受ける前にも、試合をストップさせる選択肢もあったわけだ。
でももちろんそれをしなかった。三沢さんの我慢の裸は、オレが超えるはずのないと勝手に思っていた、 彼自身の生死のボーダーを越えてしまっていたのだ。
そんな過激なプロレスを提唱していた本人が、マットの上で亡くなったのだ。
自分は、三沢さんの死ももちろんだが、「あるはずの無い出来事が起こった」ことに、どうしようもなく、ただ声を上げるしかなかった。

マットの上で亡くなった三沢さんは、プロレスに全てを捧げて、そこで死ねたのだから本望だと思っていたが、
その過激さや美しさを問うたばかりに起こった惨事である。
三沢さん自身は、我々ファンが想像している以上、何倍もの悔しい思いをしているのではないか。
そこまで考えると、決して本望とは言い難い。
起こりえないことが起こり、そして、三沢さんの思いを今一度自分なりに察すれば、
自分が書いたものが、非常に迂闊だったと痛く感じた。


心配なのは、
三沢にバックドロップを放った、斎藤彰俊である。

広島大会の翌日の博多スターレーンで行われた試合では、斎藤に対してファンから温かい声援が飛んだそうだ。
斎藤はもちろん悪くない。頑張れ!と声をかけてあげたい。
しかしそれは、あくまで我々外野の人間が押し通すエゴのような気もする。
斎藤自身は、これからの人生、目の前の敵よりも、そうした重い重い十字架と闘っていくことになる。これは、本人にしかわからない重みである。 レスラーや格闘家だから乗り越えられるとか、そういう次元の話とはちょっと違う。
レスラーとして、肉体的や精神的に裸にされるのと違って、
結果として、心を丸裸にされてしまったのだ。


レスラーとしてではなく、人としての資質。
斎藤には、是非ともこれを乗り越えて、
三沢さんのような素晴らしい格闘家になってほしいと願うばかりだ。



2009.6.26 On Air Theme 『 宇宙 』
テーマ宇宙て。デカすぎやろ。

さして興味も無ければ、せいぜい水金地火木土天海冥止まりのオレに、宇宙について何を書けと、そして何を語れと。
何回か前の放送で苦し紛れに月には興味があるなんて言ったが、あれも、イクラとスジコの違いくらいでグルメ雑誌とかの ライターさんじゃ無ければ見過ごすレベル。実際は月にもほとんど興味が無い。

苦しいね。興味の無いことを文章にする、そして興味の無いことを延々と喋る。これは本当に苦しいことだよ。宇宙には酸素が無い。苦しい。 「宇宙には酸素が無い」ってフレーズをタイプしただけで何だかとっても息が苦しくなるもの。病院行ったほうがいいかな。

別に宇宙空間に放り出されるわけじゃないって言う人もいるかもしれない。でも、スペースシャトルに乗る訓練だってしなきゃいけないし、 宇宙にいる間はずっと乗りっぱなしになる。狭いスペースにずっとふわふわ浮いてなきゃいけない。そんなところに、そんな悪条件を呑んでまで、 なぜみんな行きたがるんだろう?オレには真剣に理解できない。


もう一度言う。真剣に理解できない。


著名人がやたらと宇宙に行きたい行きたいと語っているらしいが、まぁ飲み込んで吐くくらい金持ってんだろうから金については 何とかなるとしてもだ、その「飽くなき探究心」と言うヤツもほどほどにしたほうがいい。

よく考えてみてほしい。その人は、宇宙に行った後は何を目指すのだろう?
宇宙に行くという行為は、今この世で、金に任せて掴める範囲では最も大きな自分への褒美だろう。

宇宙ってのはたぶん無限に広がる何かだ。その無限にのっとるかのように自分の飽くなき探究心が、地球上に今ある技術を超えてしまったら、
オレなら絶望する。
宇宙から見た地球は綺麗でした、月でアイアン振ったらドライバーみたいに飛んでいきました、こう来ると、「ブラックホールの中に 行ってみたいです。そして生きて帰ってきたいです」なんてことに必ずなる。
無理に決まっとるがなんなもん。

出来ないこと、あり得ないことを成し遂げたいと思うことは、
興味の無いことをタイプする以上に苦しく、
ただ欲求不満だけが身体をうねるように流れて、
生きること、働くこと、遊ぶこと、日常全てが億劫になる。

ブラウン管の薄汚れたディスプレイで、宇宙から撮影した地球を見たら綺麗だと思う。綺麗だなぁと思うから、心は和む。
レディーボーデンを頬張りながら見ればもっと心は和む。
それを60インチの薄型ディスプレイで見ればもっともっと心は和む。
そのテレビの前にゴルビジェのソファを置いて、
ソファを囲むようにBOSEのスピーカーを4発くらいつけて、
マイナスイオンが常に還流する部屋に改造して、
もういっそのこと部屋の壁ごとプロジェクタにして、
その地球の映像に坂上みきのナレーションをつけてもらって「リョウジくん、これが宇宙から見た地球だよ」と言われると最上級に和む。

せいぜいこれくらいにしといたほうが、よほど現実的で、頑張ろうという気になる。
レディーボーデンで止まってる場合じゃないと、思えるのである。



2009.7.3 On Air Theme 『 爽快 』
爽やかに、快く。合わせて、爽快。
さぁ考えてみよう、皆さんの周りに爽快なものはありますか?
オレはこの原稿を書く前に30分ほど本気で考えてみたんだが、少なくともオレの周りには無い。
爽やかなもの、快いもの、それぞれ単体ならけっこう出て来たんだが。

でも、これを読む方の中には「ビール」と答える人もいるのではないだろうか。
風呂上がりに飲むビール、野外フェスで飲むビール、これからの季節ならビアガーデンで飲むビール、最高らしいですね。
自分が総理大臣になったあかつきには、消費税を無くす替わりに酒税を今の100倍くらいにするのをマニフェストとしようと考えるくらい 酒に興味が無いオレには、ビールは苦いパンの味しかしない。あれを爽快と呼べるような大人になるには、あといくつ歳を取ったら いいのだろうか?もうぼちぼち白髪が生えてきてるんだが。
しかしまぁ、別に酒に興味が無くとも、ビールが爽快なんだろうなと傍目に想像が出来る。ようは、ビールをたしなむ人々は、最初の一杯目、 しかも本当に最初の一口目を飲んだ時に見せるあの顔こそ、まさに爽やかで快い顔をしている。あの顔はいい。よっぽど嫌いな人じゃ無い限り、 オレはその人のビールを飲む顔が好きになる。なんて幸せそうな顔だ、オレもそんな顔になりたい、そう決心して飲んではみるものの、 往年の三沢光晴が魅せたエメラルドフロージョンの如く垂直落下式嘔吐が始まるのである。

しかし、人が酒飲んでるとこが爽快だなんて言う自分は、本当に爽快とはかけ離れてるな、と。むしろそれを嫌って生きてきた部分も あるかもしれないな、と。
うちの嫁は、そんなオレを爽快なイメージ漂う男にしたいらしい。
素手でクマに立ち向かうスピリットの持ち主だ。



2009.7.10 On Air Theme 『 愛 』
またもう、愛とか広すぎ。

というのは、愛はあまりにも広すぎて、どこかで線引きをしなきゃいけない。
一番手っ取り早いのは、もう先が無いとわかっている死ぬ間際だ。だいたい、真実の愛なんてものは、自分が死ぬ時に遠のく意識の中で 初めて感じるもんじゃないのか?先を見ずに、見てきた聞いてきた感じてきた過去だけを振り返ればいいから。
まだ別に死にそうじゃないもん。わかるわけがねぇ。


今ここですんなりと愛を書けない語れないのは、自分にはまだ先があってもっと大きな感情や出来事を経験する可能性があるからだ。 それが愛に結びついてしまうと、今まで自分が感じてきた愛は、ひょっとしたら愛じゃなかったのではないかと思ってしまうだろうし。


ともかく、たった今言えるのは、愛とは線引きだ。
自身がそれを愛だと、どこで感じるか、線引きをして自身で自己満足するしか無い。
線引きをしたところで愛を書くのなら、
自分はこれまで、人々に愛され助けられた、非常にラッキーな人生だ。
大きな愛に、包まれた人生だと思う。


もうこのへんで、ご勘弁いただけないだろうか?



2009.7.17 On Air Theme 『 いかないで 』
男は常ながら損な生き物であると私は思うのである。

女に行かないで、と言われ、
振り返らずに行ってしまう男はかっこいい男
振り返って女を抱きしめるのはモテる男
一度振り返り、でも行ってしまう男はダメな男
だと個人的には思う。

女にイかないでと言われ、
それでも容赦無くイクのはかっこいい男
腰を止めずにイかない男はモテる男
ええ?ダメだよイッちゃうよとか、何か言葉を発しながらイってしまう男は真のダメな男
だと個人的には思う。

女が男に対して投げかけてくる言葉には、
女にはそのつもりが無くとも、男にとっては様々なトラップが仕掛けてある。
お互い、その場では気づかなくとも、
後になって振り返るとあれはかっこよかったとかあれはどうしようも無い一言だったとか、
自分の知らない処で価値が上下しているものである。
まるでドルやユーロ、大豆やとうもろこしみたいなものだ。

仕事とあたしどっちが大事とか、
行かないでとかイかないでとか、
そんなことを言う女はダメな女だという話を聞く。
それには同意出来る。確かにダメな女だと思う。
でも、口には出さない、出来た女だったとしても、100%頭の中でその言葉をリフレインしている。絶対に。
男はそれを理解しているかしていないかで、
女からの価値が変わってくると個人的には思う。

ダメだって言われるよりは、
かっこいいと言われるほうがまだいいんじゃね?



2009.7.24 On Air Theme 『 原点 』
自分の喋りの原点に立ち返ってみると、喋りの仕事をするようになったのも結局は音楽をやっていたからであり、 やってきた音楽を掘りに掘り下げるとGUNS N`ROSESに辿りつく。
今冷静にそのGUNS N`ROSESの音源を聴いてみると、この今の時代には全くそぐわないのは間違い無いが、聴く限りでは思っていたほど悪く無いのも事実。 あのわかりやすい疾走感や音のデカさに当時はメロメロになったのを思い出す。ただやはり、あくまで、悪く無いというだけであり、 そこからまた新たな何かが産まれるかと言われるとそれはノーだ。それでも何となく聴いていて良い気持ちになるのは、 懐かしさが心を覆うからである。

往年の名役者が旅番組などで「この場所が私の原点なんですよ」と丘の上から街を見下ろしている画をよく見るが、 ただひたすらに昔の思い出に耽っているようにしか見えない。その画自体は非常にこちらも心温まるものがあるが、 前に進めるような何かを発見というような前向きなものは感じられない。

それでも人々は原点に立ち返ろうとする。まるで取りつかれたように昔を懐かしもうとする。でも、実はそこに大きなジレンマがある。
原点に返り懐かしむよりは、その原点を否定してこそ本当の自分の成長した姿があるのではないか、とオレは思う。
一番最初の気持ちを受け入れるのならば、その時の気持ちに共感出来るということ、そう、全く成長してないことになりはしないか、と。

ガンズ?はぁ?くらいのことがココで書けないと、オレ自身も高校生のあの頃と全く変わらないままの脳ミソで番組やってることになる。 それはそれで問題なんじゃないだろうか。
原点に立ち返ると言えば何だかかっこよく聞こえるが、立ち返らなきゃいけないくらい、懐かしさで脳を休めるほどに、 疲れている証拠でもある。

もっと前を向いて、そして新たなものを生み出して。
原点を反面教師にして、これからも何か面白いものがやれればと思う。



2009.8.7 On Air Theme 『 届かない 』
思いっきり自分のフィールドの話で申し訳無いのだが、
今から10年近く前に、日本に「ステイゴールド」という競走馬がいた。

日本の競馬というのは、その馬が獲得した賞金によってクラス分けされる。格式の高い重賞レースには、 ほとんどの馬がそれまで多くのレースを勝ってきた「オープン馬」と言われる馬たち、獲得した賞金の高い馬が出走してくる。
だから、我々が民放のテレビ番組などで見かける馬は、みな何らかの大きなレースを勝ってきた馬がほとんどなのだ。
そんな中、ステイゴールドだけは、重賞の勝ち鞍が無い「特別な存在」だった。
この馬、重賞レースでことごとく上位に食い込んでくる馬だった。しかし勝ち切れない。重賞を勝ったことが無いということは、 大きなレースに出れば全く人気が無い。その気楽な立場が幸いするのか、馬群の中でじっと我慢して、 最後の直線で忘れたように前にいる。でも、ゴール板を過ぎるころ、ステイゴールドの前にはいつも一頭別の馬がいた。 いつまでも「あと一歩届かないレース」が続いていたのである。

我々馬券を買うファンからすると、何とも悩ましい馬だった。条件レースを勝ったのを最後に2年近くも勝ち鞍が無い馬が 重賞レースで通用するはずが無い、こないだの2着はたまたまだ、でもそのたまたまがもうかれこれ3回も4回も続いている、 本当のところは強いんじゃないのか、いや本当に強いならもう重賞の2つ3つは勝てているはずだ・・・・・などなど。
馬券を買う時に「ステイゴールドを買うか、外すか」で、競馬ファンのほとんどが悩んだはずである。そして、 「重賞は勝てないけど、いつも一線級で活躍するネタ馬」として、その存在がファンの間に定着する。

しかし、まさかの出来事が起こる。00年目黒記念(G2)。
ステイゴールドの鞍上には、いつもの熊沢重文ではなく、あの武豊がいた。
淡々とレースは進み、ステイゴールドは比較的前のほうで折り合っている。直線を向くと、やはり地力の違いで先頭に立つ。
これを見ていた競馬ファンの心境を書くと、
「どうせいつものように最後交わされて2着だろう」
がほとんどだったはずだ。
しかし最後の坂を登って残り200Mを切ってまだ先頭。じわりじわりとセーフティリードに変わりつつある。
「・・・・・・ひょっとして、まさか!!」
後ろからマチカネキンノホシが迫ってきているが、ステイゴールドの脚色はまだ生きたまま、残り100M。 そこでファンが抱いたまさかは、確信に変わる。
まるでG1レースのような歓声と地鳴りが府中に響き渡る。それは府中だけでは無く、テレビの前にいたオレをも巻き込んだ。 「うわあああああああああああステイが勝ったあああああああ!!」
テレビの中で起こるステイゴールドコール。G1レースでは無くG2レースで勝ち馬にコールが起こったのは、 このレース以外記憶に無い。


ステイゴールドが引退を迎えたのは、日本の競馬場では無く、香港だった。
陣営が引退レースに選んだのは、国際G1の香港ヴァーズ。
目黒記念を勝ってからのステイゴールドは、それ以降ドバイのG2レース(ドバイシーマクラシック。現在はG1)を勝ちはしたが、 日本国内ではそれまでとは変わって、なかなか活躍出来ずにいた。
重賞を勝つことは叶ったが、G1レースを勝てていない。この香港でのG1が、本当に最後のチャンス。ファンはみな、 祈るように衛星放送を見ていたはずだ。
最後の直線に入ったころ、ステイゴールドと武豊は2番手。前を行く先頭のファンタスティックライトまでは、絶望的な差、 7馬身から8馬身の差があった。
やっぱり届かないのか・・・・。誰もがそう思ったはずである。

しかし、諦めていないのは武とステイゴールド本人だった。
武のステッキにより、耳をたたんで全神経を走ることに集中させたステイゴールドは、引退レースだというのに、 それまで見せたことの無いような信じられない伸びを見せた。
絶望的な差が徐々に現実的な差に縮まり、ファンタスティックライトとステイゴールドの馬体がぴったり合ったところが ゴールだった。
届いたとか届かなかったというよりは、自分の競走馬生活の最後の最後に、どんな名馬をも凌ぐ末脚を見せたステイゴールドに、 オレはただただ驚くばかりだった。
そして、写真判定の結果、「届いていた」のである。
オレだけではなく、競馬ファンのほんとんどが、感動のあまりテレビの前で泣き伏した。


小柄で、なおかつなかなか勝ちきれない詰めの甘さ、
それでもハマった時の爆発力の凄まじさ、
種牡馬となったステイゴールドの仔は、父そっくりなレース運びで、我々ファンを楽しませてくれている。
これも、あの香港の激走があったからこそである。


世の中、手に届かないものもたくさんあるが、
あの香港ヴァーズのステイゴールドを思い出すと、
何とか届いてしまうんじゃないのかと思えてくる。
彼は、我々人間に、届かないことの儚さと、届いて手にした本当の悦びを、教えてくれたのである。



2009.8.14 On Air Theme 『 ラーメン 』
自分が住んでいる福岡では無い九州のとある田舎に、一軒のラーメン屋がある。
その時自分は仕事でその土地を訪れており、どこか昼飯が食えるとこは無いかと車を走らせていた。
そこで見つけたのがそのラーメン屋である。駐車場には空きが無いほどに車が停まっており、 中を覗くとカウンターはほぼ埋まっている。

普通にラーメンを注文し、待つこと5分。出てきたのはちょっと黒ずんだラーメン。
九州だから豚骨ベースとして、この黒いのは恐らく醤油、醤油豚骨のラーメンかと思いながらスープを一口。

・・・、味が無い。

オレの舌がおかしいのかとコップの水を飲み干し、再度スープをすする。

・・・やはり味が無い。

それならば麺は、と箸を麺にかけようかと思えど、スープのがっかり具合が凄まじく、ひたすら丼の中で麺をかき回すだけで、 口に持って行こうという気にならない。それくらいスープが酷い。

何とか心を振り絞り、いさぎよく大量に麺を口に運んだが、麦と脂の味しかしない。それに使ったアゴの筋肉さえ返してほしい くらいの残念なラーメン。

やい店主なんだこのラーメンわ!と凄むのもまた一興だが、店内はその空気には程遠いほどの盛況ぶりである。 みんな取りつかれたようにそのラーメンをすすっている。あまりの納得のいかなさとアウェイ感満載の自分の孤独さに思わず昔の女に 「元気?久しぶり。今ホントにまずいラーメン食っててさ」とメールしてしまったほどである。 以前『百万石、何回替え玉出来るか』というロケ物の映像をこの番組でお届けしたかと思うが、そんな大食漢のオレが大好物の ラーメンを全部食べなかったのは、その時が初めてである。

店を出てふと気づく。
ああ、この土地には他にラーメン屋が無いんだ、と。
まさにそのラーメン屋は、その土地のラーメンという食べ物を、一身に背負っていたのである。
競争が無いのは商売において危険だが、独占出来る強みがある。まずいラーメンにビジネスの基本を学ぶことになるとは 夢にも思わなかった。

今住んでいる自分の家から東に10分も歩けば、10や20はラーメン屋がある。恐らく九州では一番の激戦区だろう。 それに止まらず、まだまだラーメン屋は増えそうな気配さえある。

そのうち一軒でも、上のラーメン屋がある土地に出店すれば、すぐに蔵が建つんじゃないだろうか。ラーメン業界のプロでは無い 自分が言うのもナンだが、わざわざ火花が昼も夜も散っている場所にさらに火興しに行くのは理解し難い。

不味くても盛況、美味くても閑古鳥。土地が変わるだけで、こうも違うのは不思議でしょうがないのである。それだけラーメンという 文化が日本の食文化にどっぷり浸かり、日本を代表する食べ物になったということだ。

当方、週に一度は家の近所でラーメンを食べている。
今週はどこのラーメン屋に行くか、今から悩もう。



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