百万石の次回予告Column 007

001  → 002  → 003  → 004  → 005  → 006
008  → 009
home
What is FUNKAHOLIC?
Fantasy Time
team FUNKAHOLIC
ranking
column
archive
2009.4.17 On Air Theme 『うるさい』
人とのまともな距離感というか、「間が悪い人」というのは多々存在する。これは、根本は変えられないと言われる運動神経やリズム感などと一緒で、 どうしてもその間が悪い人と空間を同じくする場面になった際には、上手に付き合っていくしかない。

しかしだ、例えば公共の場においてたまたまそういう場に間が悪い人がいた場合。これは事故みたいなもので、運が悪いとしか言えない。

自分がハネムーンでエジプトに行った時だ。成田からカイロまでの直行便で、約14時間のフライト。その間、自分のすぐ後ろに座ったのは、歳にして 50歳代のおばさん3人組。

旦那を日本において自分らは1週間のエジプト旅行である。さぞかしテンションが上がっているのだろう、空間が無いとはまさにそのことで、 隙間無く延々と会話をしている。

まぁそれはわからないでもない。海外旅行に出かけるのは誰しもテンションが上がるし、オレだって嫁と何かしらの会話をしていたと思う。

しかし、間が悪い人というのは、喋る音量を気にしない。まるで自分達の会話を周りに聞かせようとするかのごとく、とかくひっきり無しに喋り まくっているのである。

それが誰でも笑えるような面白い話であればいいが、ご想像通り、もちろんフリもオチもない投げっぱなしジャーマンのような会話だけが機内にやたらと 響いている。


うるさい。とにかくうるさい。


窓からの景色が暗くなり、同じく機内の明かりも落ちる。そろそろ眠りに着こうかという頃だ。何を思ったかそのおばさんたちは読書灯を使って トランプを始めた。

人生一度きりのハネムーンで事を荒げるのはどうかと思ってむちゃくちゃ我慢していたが、そのうちの左端のおばさんが「あらぁ、4カードだなんて あぁたなぁんてファンタスチック」ってデヴィ夫人みたいな口調で言ったもんだからブチ切れた。

「わいたちまじでうっせぇたいボケがクソババア!!!」と九州弁丸出しで座席越しに切れたら、オレはよほど大そうな剣幕だったらしく一瞬にして おばさんたちは涙目になった。嫁はオレを必死で制し、あれほど人様と喧嘩をするなと何度もボディブローを打ってきたが、それとは裏腹に 感じたのである。他の乗客の皆さんの「九州の兄ちゃんグッジョブ!!」オーラを。

まぁ、うるさいと言えば一番のエピソードがこれだったわけだが、人の会話も音楽も、それが奥ゆかしく赴きのあるものであれば、どんなに音が大きくても 一つも耳障りでは無いのである。ただの自己満足では、どんなにその音が美しかろうと雑音にしかならない。人様に「うるさい」と言わせた時点で、 その音や言葉は死んでいるのである。

いつだって、生きた言葉を喋り、生きた音を聴いていたいものである。



2009.4.24 On Air Theme 『ゴールデンウィーク』
ゴールデンウィークにどこかへお出かけ、これは誰しも思うところなのだろうが、一家を取り仕切るお父さん方にはたまったものでは無い。
今年(2009年)は特に、どこの観光地も例年を遥かに越えた数の人でごった返すはずだ。定額給付金やETC一律1000円などの影響はかなり大きい。
そのお父さん方と同じくらい大変なのが、その人々をもてなす「人」である。言わば、ゴールデンウィークに働く人。
自分も一度、昼間の仕事のほうでゴールデンウィーク中に丸々働いたことがある。店に出て接客なんぞをするわけだが、お客さんも長い休みで テンションが上がっているのか、何とも無茶な要求をする人が多い。
こちらがその要求に対して困り果てていると、決まって、向こうのお父さんが「すみません無理言って。もういいです」と申し訳なさそうに無茶な 要求をする自分の嫁や子供の手を引いて帰っていく。

そのお父さんの顔は、困り果て疲れ果てながら働く人と全く同じなのだ。

ゴールデンウィークを引き合いに出すのはかなり強引かもしれんが、何でも「バランス」ってもんがある。
片方が忙しくなれば、その対極にあるものもやはり忙しくなるのはよく考えたら当たり前だ。
ゴールデンウィークは祝日が連続して重なり、みんなが待ち望んでいるものだ。
普段と比べればたくさん人が外に出て、物もたくさん売れる。
その分、働く人の労力は倍になる。いつもの倍は疲れるのだ。それを引き連れるお父さんも同じく、いつものお出かけの倍くらい疲れるのだ。

こう、家族というものは、「ゴールデンウィークくらいお父さんを休ませる」という選択肢を持ち合わせていないのだろうか?

毎年5月4日頃、いわゆるゴールデンウィークも終わりに近い頃、天神(福岡市中央区天神)あたりに出かけると、人ごみの中でもひと際目立つほどに、 青い顔をして疲れきったお父さんが家族とともに歩いているのを見かける。それも一人じゃない。何人も、だ。
もう、いたたまれない気分になる。会社で疲れきって更に街や観光地に出て疲れるんでは、お父さんの安息の場所はどこにも無いではないか。

父の日と被ることを承知で書くが、

ゴールデンウィークの真ん中あたりに「父の安息日」というのを作ってはいかがだろう?

バレンタインデーにチョコを贈るという習慣を焚きつけたのは菓子メーカーである。

出番ですよ、健康器具メーカーの皆さん。

「5月4日は父の安息日!ヨレたお父さんを僕がわたしが癒してあげよう!」

これでビッグビジネス間違い無しだ。いつもの5倍は売れると思う。

ああ、でも本当に父の安息日が出来て健康器具がバカみたいに売れたら、
電器販売店の皆さんが更に疲れることになる。それは申し訳ない。

やっぱやめよう、これ。
なかなかうまくいかないものだ。げふんげふん。



2009.5.1 On Air Theme 『強引』
「お前には強引さが足りない、もっと積極的に、無理矢理手を引っ張るくらいの気持ちがないと女なんて出来ないぞ、 オリンピック選手だって最初はみんなそのスポーツでは初心者だったんだから」的な、説教にも似たことを喋っている男を たまに居酒屋などで見かけるが、いぶかしげにその話を聞く強引さが足りないと言われているほうの男はよく知っている。 どんだけ強引に行ったところでダメなもんはダメであることを。

ここでのコラムだったかよく覚えていないが、オレ自身も強引に押し倒してしまえ、と書いたことがある。でも、向こうにソノ気がゼロである場合、 意外にその女性が力が強いことを知ることになる。矛盾して申し訳無いが、せめて、向こうに少しでもソノ気があるのか判別出来るくらいの目はほしい。

若いうち、もっと言うなら少年少女の時には、あらゆる面において限りない可能性を秘めていることに間違いは無いが、 体育で何やってもダメなヤツにオリンピックを目指せと言っても絶対に無理に決まっている。強引と無茶はワケが違う。

強引さというのは使い処一つだ。強引に行けば何でもうまく行くというのはやはり違う。強引さが要求されるのは、物事が滞った時、 早く決着をつけたい時など、あくまで「手段のレベル」での話なのだ。

またまた矛盾して甚だ恐縮ではあるが、

女は我々男が考えている以上に強引さに弱いらしい。

動こうとしなかった山が急に動いたような気がして、その強引さがいつしか心地良くなってくるのだそうだ。

あくまで過去の話であるが、オレは強引に手を引いたり押し倒したりする前に考えていた。果たしてオレ自身が、 その人のバックグラウンドに入り込めるのかどうかを。

無理矢理押し倒すなんて他人の敷居に土足で上がりこむようなものだ。この人は、それでも自分を迎えてくれて茶の一つでも出してくれるのか、 そこでオレは「茶菓子は?ねぇ、茶菓子は?」とその女に真顔で言えるのか、必ず考えていた。ようは、自分で自分を見つめていた。 それで押し倒したことも、押し倒せないこともあった。

ああ、番組やる前に何となく読めた。

強引さとは克己心によって生まれるもんだな。



2009.5.8 On Air Theme 『 山 』
親父の形見でもあるが、もはやどうしようもなくなったモノがある。銃だ。

もちろん違法なブツではなく、ちゃんと許可証を持って親父は銃を所持していたわけだが、
本人がいなくなってしまうと我々遺族がそれをいつまでも持つわけにはいかない。

その銃は警察に処分してもらうことになったのだが、そこで一悶着起きる。

実は親父が所持していた銃は、機関部(ちょうど引き金にあたる部分)に、金の細工が施してあった。今回親父が死んでオレはそれを初めて見たのだが、 非常に精巧な唐草模様が金によって施されていた。

ところがオレの兄は、高校生の時分に親父本人からその銃を見せられ、「これは非常に高価なモノだから、自分が死んだらこの機関部だけは外して 持っておけ」と言われたそうである。

死ぬ間際まで死ぬつもりなど無くピンピンしていた本人が、我々に唯一残した遺言、とも言える。

実際、警察がその銃を引き取りに来た時、兄はその場にいなかったので、オレが警察に事情を説明することになった。この金の細工が施してある、 機関部だけは外させてほしい、と。

ところが、警察は非常に渋い顔をした。銃の使用許可証を持たないものが、機関部だけでも、所持するのは違法である、と。

押し問答なのか交渉なのか、よくわからない話し合いが続く。結果的には、「唯一ともいえる故人の遺志を、息子として反故にするわけにはいかない」 というこちらの主張を飲んでくれた。

警察が出した案は、その銃を、銃を取り扱える銃砲店に持っていき、譲渡という形にして、その機関部の金の細工だけを取ってもらって下さい、 という譲歩案だった。

こちらの必要以上の熱意が通じたのか、警察は長崎市内にある銃砲店の連絡先まで教えてくれた。

その銃砲店の名前が、実に、実にシブイ。

「山感」

これ、「やまかん」と読む。そう、山を感じているのである。

我々一般ピーポーが銃を使用するのは、ほぼ狩りのみと言ってもいい。

狩りを行うのは山。山を感じるという日本語が正しいかどうかはわからないが、
銃を撃つ者、狩りをする者にしかわからない何かが、山にはあるのだろう。

オレは親父とはほとんど趣味が合わず、強いて言えば格闘技観戦くらいだったから、ノゲイラの三角締めや小川直也の大外刈りの話はしても、 彼が山で経験した話、銃で何を仕留めたかの話を全く聞いたことが無い。

親父は一体、山に、山で、何を感じていたのだろうか。

ちょうど海岸線沿いにうちの実家があるものだから、海の話はよく聞いていた。
でも、よく考えれば、うちの家を挟んで海の反対側を見れば、そこには山があったのだ。

別に後悔はしていないが、ああ、これも彼の生前に聞いておけばよかったなぁと思った一つのテーマなのである。



2009.5.15 On Air Theme 『 絆 』
キズナキズナって簡単に言われたり書かれたりするが、それがイマイチどんなモノか実感することはなかなか出来ないのが 本当のところなんじゃないだろうか。

絆ってのは目に見えないものだから、それを感じるのは、ある種の自己陶酔が必要になってくる。恋愛と全く一緒だ。 言葉で、オレ達は仲間だからとかわたしたち愛しあってるのねとか言ったところで、本当のことなんか絶対にわかりはしない。

男同士女同士、または男と女、人と人との関係には色んなものがあるが、絆を感じるには相手を思いやるよりも自分を信じること、 そして絆を想像させる目に見える表現が大切なのだ。

大人になるまでに色々なモノを見てきて、知識が邪魔をしてしまうことがある。絆を感じるのも簡単じゃなくなってしまった。

歳を取れば取るほど、その絆を感じるためにインパクトを求める。絆という観点 からみても、歳を取るのは少し寂しいところもあるなと感じた。



2009.5.22 On Air Theme 『 鬱陶しい 』
正直に告白すると、だ。

普段から口癖のように忙しい忙しいとこぼすわりには、働くこと自体はすごく嫌いで、うっとうしいと思っている。

でも、それを何のフィルターも通さずに表に出すと誰ともうまく付き合っていけないので、時には作り笑顔で仕事をこなしたりもする。

思えばだ。誰だって好きなことを延々とやって過ごしたいのは当たり前だ。その仕事が好きであればそれは幸せなことかもしれないけれど、 世の中の大半の人がそうではない。うっとうしいという感情は、生きている以上はほとんどの人が持つものだろう。

うっとうしいと思うことは悪いことで、何でもありがたいと思って受け入れろと諭す大人達、その人達の存在こそ本当にうっとうしいと 思っていた少年時代。少し足りないかもしれないが、今度は自分自身がその大人達の年代へと差し掛かってきた。 誰だってうっとうしいと思いたくもなければ、うっとうしいと思われたくもない。だから、歳が下の人に対しては特に気を使う。

生まれてしまったうっとうしいという感情は、抗おうにもうまく行かず、ただ従うしか無い。それにいちいち目くじらを立てても更に うっとうしさが増すだけだ。だからうまくその感情をやり過ごす術を人は身につけるようになる。そうやって考えると、うっとうしさというのは、 我慢強い人間を育てるツールなのかもしれない。

うっとうしいとありがてぇは、わりと紙一重の感情なんだろうな。



2009.6.5 On Air Theme 『 サラダ 』
サラダ、と言われてもイマイチ気分が盛り上がらないのは、自分はそんなに好んで野菜を食べないからだ。
もちろん断固として手をつけないということは無いが、今がそんな調子だから子供の頃は極端な野菜嫌いだった。
家庭科の授業での調理実習の時、サラダを物凄く適当に作った自分に教師は怒る。キャベツとレタスをちぎって並べただけの皿を指差しながら、 彩りが悪いでしょう?と。
彩りが悪いなら、皿の横に絵を描いた紙を置いたほうがいいと思いますと応えると、更に怒られたような気がする。


自分が中学生になりたてくらいの頃だから20年弱前か、野菜の立場は急激に上がることになる。
それは、ドレッシングのめざましい進歩によって、サラダのバリエーションに幅が出てきたからだ。
野菜を美味しく食べる魔法の液体は飛ぶように売れ、
自分もそれに乗っかるように、サラダにゴマドレッシングをざぶざぶかけていた。野菜も、小学生の頃の3倍とか4倍くらいは食べるようになっていた。

ざぶざぶかければ、まあ太る。
サラダはヘルシーだと聞いていたのにと、まるで詐欺にでも遭った気分だった。


高島ちさ子も同じようなことを言っていたが、
自分も、菜食主義者の意味がよくわからない。
スーパー行けば肉も魚もたくさん並ぶ今の世の中で、野菜だけを食うというのは気が変になってしまいそうだ。
オレも半年間豆腐しか食わなかったことがあるが、ダイエットとしての美談にはなることはあるものの、今思えばその時のオレは明らかに頭が おかしかったのである。

菜食主義者は、ひょっとすると本当にうまい野菜の味を知っている人々なのではないだろうか。
どんなに高い野菜であろうと、ドレッシングなどの調味料も無しにその野菜だけ食うのを未だに憚られるオレは、
うまい野菜に出会ったことの無い人間なんだろう。


サラダはいつだって脇役。
主役になるのは、野菜だけでドレッシングより美味しいと思わせるものが出てきてからね。

大学の時、安いバイキングでオレがサラダにざぶざぶドレッシングをかけるのを見た、当時付き合っていた女の言葉をたった今、思い出した。



2009.6.12 On Air Theme 『 雨 』
もう一年以上前のことになるが、いつしか雨の日に傘をさして自転車が運転出来なくなった。
雨の日に街を歩くと、今でも傘をさしながら自転車に乗る人はチラホラ見かけるが、基本的にはNGである。 おまわりさんに見つかると注意される、ことになっている。

傘をさしながら自転車が運転出来なくなったのは、単純に、「危ないから」だろう。
片手でハンドル、片手で傘になるわけだから、まぁ確かに安全では無いと言わざるを得ない。
しかし、庶民のこちらとしては、たとえ雨の日と言えども傘無しで自転車に乗れないのはつらい。別に競輪選手でも無ければ 自転車マニアでも無いわけで、単に「移動手段」の一つとして自転車を使っていたのである。だいたい、雨の日にスピード出して運転するヤツなど いない。スピード出した分だけ濡れて傘そのものの意味がなくなるし、スリップする危険もある。安全では無いが、危険とまで言い切るかどうかは 疑問が残る。

偶数日は乗っていいですよ奇数日はダメですよ、とかでは無く、雨とか晴れとか、そういう誰しも100%確定出来るわけでは無い、 いわゆる不確定要素が絡んでくると、それを当たり前のように移動手段として使えなくなってしまったのである。外にいて雨が降ったら、 自転車に乗っていようがいまいが、傘をさすのは当たり前だったのだ。
そんなに自転車乗りたきゃ雨にでも濡れてろ貧乏人がと、通勤費全額支給されるお役人様がせせら笑っているようでその法律が出来た時は ムショウに腹が立ったのを覚えている。

それから、オレは自転車にとんと乗らなくなった。前は好きだった雨も、今は大嫌いになった。
天気予報は必ずしも当たるとは限らない。当たる当たらないで言えば、気象予報士ではなく「気象予想士」が欲しいと思う、今日この頃。



Home | about | fantasy | team | ranking | column | archive | NICE TEMPERANCE | dayday | DocodemoTV
Copyright © team FUNKAHOLIC