百万石の次回予告Column 006

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2009.2.13 On Air Theme 『妄想』
まだまだ若いとは言われつつも、やっぱり20代と30代では若さという部分で大きな壁があるわけで。
例えば、昔みたいにうまく全力疾走が出来なかったりとか、大食いが成功しなかったりとか、セックスの回数が減ったとか。
それでも、歳食って一番何が凹んだかって、「妄想」がうまく出来なくなってきたことが一番凹んだ。

妄想がうまく出来ないってのは、由々しき問題である。
妄想、頭の中で果てしなく繰り広げられる傲慢のカタルシス。
そこは治外法権そのもので、自分以外の侵入を許さず、都合の良い世界だけが延々と広がっていく。

辞書やネットを使わずに自分の感覚だけで書けば、
妄想は傲慢の固まりであり、
想像はネガティブな思考も含むものじゃないか。
妄想するのは良いことだ。非常に安上がりなストレス解消でもあると思う。

よく、妄想ばかりしてしまって・・・と自己嫌悪に陥る人も中にはいらっしゃるかと思うが、その必要は無い。おおいにけっこうなことだ。 妄想が膨らむうちはどんどん膨らませ、頭の中で破裂するまで好きにやることが大事だと自分は思う。だって、妄想ってのは、成し遂げたいこと、 欲望を掴むプロセスの「第一歩」なのだ。

妄想が頭の中で破裂すると、ひどく苦しくなる。ああなぜ現実はうまく行かないんだろう、ああなったら、こうなったらいいのに、と脳味噌の中で 自分がのたうちまわる。
苦しさから抜け出すには、その妄想を止めて逃げるか、妄想を現実にするため行動に移すか、実は二択しか無いのだ。
ここが、実は成功する人間としない人間の大きな分かれ道なのかな、と。

オレと同じように、妄想がうまく出来なくなった諸姉諸兄もいらっしゃるだろう。
みんな、日々の暮らしの中で現実と自分の限界を知り、頭が妄想を広げる前に勝手にリミットをかけてしまう。
正直、自分はこの妄想力の衰えを止める術をまだ見つけきれていない。どなたか良い方法をご存知なら是非とも教えていただきたいものだ。

上にも書いたように、妄想は物事を成し遂げるための大きなパワーであり、
まずは妄想から何事も始まると言ってもいい。
その妄想が、頭の中で鮮明であればあるほど、現実に勝ち取るチャンスは広がる。
強烈な想念は、必ず具象化するものなのだ。

みんな、妄想しまくろう。
FUNKAHOLICでみんな幸せになれるように。

あ、宗教臭いな、やっぱやめた。



2009.2.20 On Air Theme 『癖』
クセってのは、あんまり人に知られたくないものだ。
だって自分の意識とは違うところで何か行動を起こしてしまっているわけだから、自分が知らない自分を人に見られているようで、 あまりいい気分では無い。
自分自身の中で無意識に起こる行動を直そうというのは、非常に難しいしストレスが溜まる。もし他人が嫌がるクセだったら、迷惑をかけているのと 同じなので尚のこと始末が悪い。

まぁクセってのは人それぞれだから、と、その人のクセを目の当たりにする「受け手」のこちら側としては、温かい目で見守ることにしている。 これこそお互い様だから。

でも、それあんた自分で気づいてますやろ、ちょっとは直しなさいよ、と思えるものもある。
オレ個人では、どうも人の「音」に関するクセがどうしても受け付けないらしい。
昼間働く会社に、一人のおじさんがいる。その人をSさんとしよう。
もちろん悪人ではない。むしろ、「人に道を教える時は、全てラーメン屋を基点にして説明する(例えば、○○というラーメン屋の次の信号を左に曲がる、 途中で△△というラーメン屋があるんだけど、それを通りすぎて突当りの信号を右に曲がると国道に出て、2キロくらい走ると××というラーメン屋が あるから、その目の前、など)」ほどのラーメンマニアで、そこそこ人から愛されるキャラであるはずなのだが、しかし自分とはどうしてもソリが合わない。 そのSさんのクセは、他の人間もあのクセだけは受け付けない、とボヤく始末。

Sさん、喋るとき、ひどい博多弁だ。それは別に構わない。
しかし、その喋るフレーズの頭、もしくは語尾に、かなり高い確率で「ほぇ」がつく。

意味がわからない人もいるだろう。上の、道を教える時はラーメン屋を基点にする文を、Sさんが喋るように直してみると、

「その県道ばくさ、ぴやーっとまーっすぐ行きよったらね、ほぇ、○○っちゅーラーメン屋があるもんね?ほぇ?そいたらしばーらく走りよったら △△っちゅーラーメン屋が見えるけんそれやったらおうとるっちゅーことよ、ほぇ?んでそれば通り過ぎたらくさ、ほぇ、どぎゃーんて突当りにあたるもん、 それをくさ、右に曲がったら国道に出るもんね、ほぇ?んで2キロばーかし走ったら、××っちゅーラーメン屋さんのでーっかい看板が見えてくるっ ちゃんねー、そいたら、ほぇ、目の前にあるとよ」

こうやって書いてみると面白い人だなSさん。
しかし、普段顔を見て喋る身としては、言葉の合間に「ほぇ」が聞こえてくると、黒板に爪立てられるくらいキツイのだ。
ちょっと前にはポルトガルのことを「ほぇトガル」って言ってたし、
オレ自身が確認したわけではないけど、最近i phoneを「ほぇフォン」と言ったらしい。

んー、やっぱり本人気づいてないんだろうなぁ。
いつの間にか「ほぇには触れちゃいけない」という空気になってしまってるし。

オレも自分が自覚しているクセ、知らないクセ、それぞれあるのだろう。
今さら簡単に治せるものじゃないから、
出来るだけ人様に迷惑がかかっていないことを願うばかりだ。



2009.2.27 On Air Theme 『おはよう』
毎回ならず者のような文章を書いている自分だが、そんな自分でも、挨拶だけはきちんとするものだ。
別に、挨拶なんかしなくたってコミュニケーションは充分取れるのである。朝に交わす「おはよう」なんて、まだ完全に目が覚めて無いうちから、 テンション上げて元気よく「おはようございます!!」と、言うのも憚るし言われるのも困る。どんなに丁寧でも、せいぜい略さずに「おはよう ございます」と目を見て言うくらいか。

そういう年頃なのだろうが、自分も中学高校の時は、とにかく母親におはようの挨拶もせず、起きて朝飯食って顔洗って歯磨いて着替えて玄関を出るまでに 発する言葉は「飯(出して)」くらいだった。自分の兄もそのタイプで、朝飯を食わなかった兄に至っては、何も言葉を発することなく学校へ行っていた 気もする。
高校生活も終わりに差し掛かるころか、母親がマジな顔してこう言った。

「家族におはようも言えない人は、社会に出て通用しない」

絵に描いたようなお嬢様育ちで、常に家族の顔色を窺って言葉を選んでいたような母親が、噛み締めるようにそんなことを言ったので、呆気に取られたのを 覚えている。

通用しないかどうか、まぁぶっちゃけ通用しそうな世の中ではあるのだが、
相手を不快にさせない程度に「おはようございます」と挨拶出来たほうが、こと社会において圧倒的に生活しやすいのは間違いない。

人の印象というのは最初の第一印象でほぼ決まるから、元気良くおはようございますが言える人は誰からも好かれる、だから早起きして、自宅で完全に 目を覚ましたほうが、人と会った時にきちんとおはようございますが言える、だから人から好かれるにはまず早起きすることだ、
なんてどっかの大学の女性の教授がテレビで言ってたけど、自分がこの世で一番苦手な早起きを促されているようで、胸くそ悪いおばさんだなぁ と思いつつ、でも一理あるのかな、とも思うのだ。

おはようときちんと言えるだけではうまくいかない世の中であることは重々承知しているが、
おはようときちんと言えることが、成功を掴む第一歩であるこということを、今になって何となくわかってきた。

お母さん、ようやくです。
あなたの言葉はようやく自分の心に響き始めています。
でもたまに、休みの日の朝7時くらいに携帯鳴らして「おはよう、起きとったね?」というのは、やめていただけますか?



2009.3.6 On Air Theme 『くさい』
こう、なんつーか、自分の目線の話になるんだけど、中性的な男性が女性からチヤホヤされて、男臭いのは敬遠されがちなのかなと思ってた時がありました。
ところが、何か変わってきてますね。男臭いヤツでもモテるヤツはごろごろいる。まぁ結局は中世的だろうが男臭かろうがその人次第なんやろうけど。
でもね、自分が中学とか高校くらいの時のトラウマってのは計り知れないものがありましてね。
モテてるヤツはみーんな中世的なヤツばかりだったわけですよ。
今となっては死語であり、一周して逆に世間からフューチャーされそうな感じの「朝シャン」はもちろん、体育の授業の前の日焼け止め、後の洗顔なんて のも当たり前になってましてね、連中は。
男臭さの象徴みたいなガチムチ兄貴だったおいらにしてみると、これ以上ハードルを上げるのは止してほしいなぁと、陰毛を見るような目で連中を 見ていた気がします。

大学、社会人と進むにつれて、随分苦労しましてね。
思春期に「中世的なヤツがモテる」ってのが刷り込まれてしまってるから、身体は男臭くても、脳が中世的になっちゃってるわけですよ。
だからふとした時に、会話やちょっとして仕草において、自分の中に眠っている「女臭さ」がむくむくと起き上がり、相手の女の子にドン引きされる こともしばしばあったものです。

しかし、時代はシンプルさが求められています。
中世的なヤツがイイ男ってのは、まどろっこしさとプロセスを重宝していたバブルの時代ですよ。「彼はすごく繊細な感性の持ち主だけど、たまに 見せる男らしいとこがイイ」なんてセリフ最近聞きますか?あんまし聞かないでしょう?表に見えるものから裏を読む、なんてのはめんどくさくて しょうが無いんですよ。
スピードと結果をとことん追求する今の時代は、男臭いヤツがモテます。わかりやすければわかりやすいほど良い気がします。
中世的な男性の象徴であるジャニーズ、その中でも中枢を担う滝沢英朗が、最近見たCMでずいぶん男臭い雰囲気を醸し出してましたね。ありゃ 獣の目ですよ。ジャニーズがそこに気づいたってのは非常に大きいですね。あんなタッキーならオレは好きですなアッー!

汗の匂いもそのままに、はみ出す体毛そのままに、獲物を狙う目が光る、肉は骨まで食い尽くす。

確実にキテますよ、男臭い時代が。



2009.3.13 On Air Theme 『時間』
時間、ですか。
例えば、皆それぞれが考える、大事なモノってたくさんあると思うんですよ。友人だったりお金だったり家族だったり恋人だったり時間だったり。
あらゆる大事なものがある中で、時間ってのは唯一平等に与えられたものですよね、それをどう使うかはその人次第なわけでね。

今の自分自身を振返ってみると、けっこう隙間無く仕事が入ってたりして、かなり理想に近い、どれどころか理想そのものみたいな生活サイクルに なってるわけですよ。まぁ収入という点では別としてね。金はなかなか稼げていない。まぁそんなもん。
ドラマーでプロになりたいなりたいと念仏のように唱えてて、それが叶わないとわかってからは、じゃあ色んなことが出来るヤツになろうと思って、 色んなことが出来るヤツは休みなんかねぇよな、と言い聞かせてここまで来たわけですが、
これって大きな間違いだということに最近気づきました。

リラックス出来る時間や一日を作れないヤツは、やっぱり二流だ、と。

本当にすげぇヤツってのは、何でも出来るけどきっちり休みを取ってるってことに気づいた。やっぱしね、一流は何やらしても絵になるんですわ。 オレなんかアホみたいに時間を仕事で埋めようとしてるだけだったもんな。何か隙間が怖くてしょうがなかったんよね。
時間の隙間を恐れずに、そこをきちんとリフレッシュに使う勇気を持った人、これが一流なんですねぇ。
自分は、過去に大人の言うことを聞きすぎたのかもしれん。落ち着くのはジジイになってからでいい、若いうちは買ってでも苦労をしろ、と。
そうも行きませんよ。何か最近リフレッシュ出来なくて楽しくなくなってきたもん。それで周りの空気が悪くなると、どんだけの人に迷惑がかかってるか 計り知れないわけで。

まぁ、FUNKAHOLICという番組で、皆さんが楽しい時間を過ごしてくれれば、そこは休むことなく頑張らせてもらいます。
時間が上手に使える、素敵なジジイになりたいもんです。



2009.3.20 On Air Theme 『やるせない』
ダメな時は何やってもダメ、泣きっ面に蜂、もう悔しくて悲しくて仕方が無いと思うことも生きていく中で多々あるが、なかなかやるせないという気分は 味わえない。
というのは、自分自身がほとんど「んあーやるせないなぁ」と口をついたことが無いからだ。

想像をしながら、かつ誤解があることを承知で書くが、
一段高いところから悲しい場面を観る、
これがやるせないの法則なのかな、と思うのである。
かわいそうだなぁ、悲しいだろうなぁ、でもおいら何もしてあげらんないんだよごめんね、
あくまで第三者の立場で、まるで映画やドラマの悲しい場面を観る時の感情なのかな、と。
自分は、どうしても場面場面で感情移入してしまうのであまりやるせないなぁと思うことがない。

今ふと思いついたんだけど、
あれだ、サッカーのPKを外す場面を観る、
これはけっこうやるせないかもしれない。
外した本人はやるせないというより、悔しくて情けない感じなんだろうけど、
観てるこちら側はそれに対してあ〜あとか言いながら、一段高いところからキーパーに弾かれたボールが転がるのを見ているわけだ。
サッカー繋がりで言えば、98年のW杯直前に、カズこと三浦知良が代表メンバーから外された。
カズは情けない顔をすること無く、
毅然とした表情でインタビューに応えていた。
悔しかったのは当たり前だ。でも彼は、そんな感情をほとんど表に出さなかった。悔しさを表に出すことより、それまでに結果を出せなかったことに、彼は 自分の存在を感じるしかなかったのではないだろうか。

そんなカズを観た自分は、
ポロポロと涙を流した。
彼からは、やるせなさを感じた。ただただ、カズの心の中を読み続けた。数少ない自分がやるせなさを感じたエピソードだ。

PKを外すこと、それは、
サッカーをする者には必ずつきまとう、ボーンヘッドである。
人にやるせない思いをさせることは、できるだけ避けたいものだ。
だから、仕事でもプライベートでも、それこそサッカーでも、
何かボーンヘッドを起こしたら、
堂々としてればいいのだ。
そして素直に謝ればいい。
必要以上に情けない顔をするのは、
誰も喜ばないんじゃないか。
カズはあのインタビューで、人としての生き方を教えてくれた気がする。



2009.3.27 On Air Theme 『労働』
自分の親父が急に亡くなった。

医者である親父は、その日まで普通に診療を済ませ、夕方飯でも食おうかとしていたその前に、胸が痛むと言って薬を取りに病院に戻ったらしい。 急性の心筋梗塞で、救急隊が駆けつけた頃にはすでに瞳孔が開いており、助からない状態だったそうだ。

急にやってきた知らせに自分も驚き、急にやってきた死にも関わらず、やらなければならないことは湯水のように押し寄せてくる。身も心もぼろぼろに 疲れ果ててやってきた告別式で、親父の友人である釘宮敏定先生(現・長崎医療技術専門学校校長)が、親父が「労働」していた頃のエピソードを 友人代表挨拶という形で話してもらった。

息子である自分はそのエピソードを初めて聞くこととなり、その内容に度肝を抜かれる。


親父は医者になってまだ数年の頃、北洋漁業船団の船医として、アリューシャン列島北方のベーリング海洋上にいたらしい。そこで、船員どうしが喧嘩 となり、一人が、胸に包丁を突き刺され、それが心臓にまで届いてしまったのだ。随分過激である。

一見大手術で、もちろん大手術。そこまでの手術を行う器具を備えてるわけもなく、それでも親父は、船内にあった医療とは関係の無い道具を用いて、 即席でチューブなどを作り、6時間に及ぶ手術を行い、見事その患者を救ったのだそうだ。

これは、当時のケースとしては非常に稀で、おそらく、世界を見渡しても例の無い、壮絶な大手術であった、と。


コンパスで円ひとつまともに書けなかった不器用なオレは、本当に、即席チューブで心臓の管を作ってしまったこの親父の息子なんだろうかと思った もんだ。

世界でも例を見ないなんて言われ、もしその話を中学高校の時に聞いていたら、その誇り高きエピソードによってオレも医者を目指そうと、因数分解すら まともに出来なかったオレが、物理でフレミングの法則の時、「ベム、ベラ、ベロ」と言いながら一人でニヤニヤしていたオレが、改心して医者になろうと 思ったのであろうか。

どうあれ、こういうちょっと現実離れしたエピソードを聞くと、どうしても過去のことを思い出して、あの時こうしておけば、勉強しておけばと後悔を ひたすら繰り返して涙が止まらなくなってしまったのである。


世の中色々な労働があるが、親父の場合は、人様の命を預かる仕事をしていた。

労働とは、自分の貯えだけでなく、社会に貢献することへと繋がる。社会貢献度は仕事によってそれぞれで、そのレベルを量ることは野暮なことかも しれんが、しかし、命を預かる仕事というのは、やはり他の労働と比べて一目も二目も置くものではないかと思うのだ。

オレは、人の生活に関わることや娯楽という面での仕事をしている。ただ、これは、必ずしもオレがやらなくてもいい仕事なのだ。

命がかかった場面、死に直面している当の本人は、上から自分の胸を開く医者その人だけが頼りなのである。間違いなくその医者しか救えない。

そう考えたら、結局親父には敵わなかったなぁと、また悔しさを噛み締めて涙が止まらなかったのである。


尚、親父のこの洋上手術のエピソードは、釘宮先生の著書「山のあなた」(文芸社)に掲載されている。興味のある方は是非。



2009.4.3 On Air Theme 『アクセサリー』
アクセサリーは煌びやかで美しいものであるから、そこには色んな人間の感情の行き来がある。そこにあるアクセサリーのようにキラキラ輝いていれば いいが、決してそればかりではない。

よくテレビドラマなどで見かけるが、愛する人から送られたアクセサリーがあり、その愛する人と別れ、送られた側は泣きながらアクセサリーを海に 投げ捨てる。あれって、実はすごくエネルギーを使っていると思う。

もちろん別れも辛いが、実は、「売ればそこそこの金になる、でも捨てなきゃならん」という下心と必死に闘ってるんじゃないか、と。

こんなロマンティックのかけらもないことをオレが書けるのは、まともなアクセサリーを、貰ったことも送ったことも無いからだ。

そもそも、その人に対する愛情を、金額や価値などで表すことが非常に苦手で、自分もそうやって物を贈られることが非常に苦手だ。まだ、美味しいものを ご馳走してくれたり、実用性のあるものを贈ってくれたり贈ったりするほうがいい。アクセサリーというものは、美しくて価値のあるものだからこそ、 扱いが非常に難しい気がするのだ。

だって、過去に関係のあった女性から教えてもらった音楽なんかもある。それを今この時聴くと、良い曲だなぁと思いつつも、どうしても当時のことを 思い出してしまって、しんみりするくらいだ。アクセサリー一つとってみれば、音楽どころでは無いような、色んな情がそこにはあると思うのだ。

贈ったり贈られたり、身につけたりすることもいいが、一番大切なのは気持ちである。その気持ちさえ持っておけば、別にアクセサリーはいらない 気がする。



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